コミティア107 ありがとうございました

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鏡像フーガの本を手に取っていただいた皆さま、どうもありがとうございました。例によって単独参加のため、ほとんど動けなかったのですが、本当に色々な方が来てくださって。

実は、改めて確認してみて分かったのですが、私が初めてサークル参加したコミティアが、2004年2月22日の「COMITIA 67」でした。なので、今回でちょうど丸10年。10年!早いものです…。

多少は進歩があるといいのですが、当人としてはさっぱり。別段、何を目指しているとかもなくて、仕事との折り合いもついているので、その時描きたいものを描いてきました(描きたいものが何か分からないこともしょっちゅうだけれど)。しかし作品が誰にも、誰の手にも取ってもらえなかったとしたら、とてもここまで続けては来れなかったと思います。

ところで昨日、会場でティアズマガジンを読んでいて、前回のコミティアでの売り上げ分布グラフを何気なくTwitterにアップしたら、2800RTもされてびっくり。グラフは毎回実施されているサークルアンケートに基づくもので、ご覧のとおり横軸を売上冊数、縦軸をサークル数としていて、最も多いのが1~4冊で132サークルという。次に多いのが5~9冊、0冊のところも少なくなくて、逆に1000冊以上売っているサークルはゼロです。そして、このグラフは前回が異常に売れなかったのではなくて、コミティアはだいたい毎回こんな傾向です。

確かに、私も初めてティアズマガジンでこのグラフを見たときは意外でした。そのときは、うちのサークルの本が売れないというのは知っていたけど、みんなそうなのかと。コミケとかでの、二次創作同人誌に関するちょっとバブリーな話なんかを聞いていると、より意外に思うのかも。

コミティアって作家のレベルも高いんだけど、読み手のレベルも高い。つまり、100円200円安いから買うというのはまずなくて、内容が良くなければタダでも立ち読みで終わる。無論、作家にとっては100円のコピー本だとしても心血を注いだ作品は値段なんかつけられないほどの価値があるわけで、それが手にとってさえもらえないというのは、これほど残酷な環境はないわけです。批判されるならまだしも、無関心無反応というのは、これは辛いですよ。

そういうなかで10年単位で続けて来られるのって、やはり、回数は多くなくても、直接作品が人の手に渡る瞬間に立ち会える喜びがあるからだと思うのです。少なくとも私はそうで、そりゃあ、どこが気に入ったのかとか聞いてみたいことはいっぱいあるけれど、特に何もなく「ありがとうございます」で本が渡せるだけでいい。たまには感想ももらえたりして、知り合いの作家さんなんかも増えてきたりして。でもそれって、もう数そのものはあんまり関係ない。ゼロが続くのでなければね。

そんなわけで、私はまたいくつか嬉しいことがあったので、次からも続けていけそうです。既刊を全部買ってくださったり、内容を褒めてくださった方ありがとうございます。それにスケブ頼んでくださった方、断ってしまってすみません(あまりアドリブに対応できないのです)。

今回の本の内容については、また後日ちょこちょことココで補足するつもり。引き続き、鏡像フーガをよろしくお願いいたします。

『機械仕掛けのファントム』を公開しました

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「機械仕掛けのファントム」/「R-9」の漫画 [pixiv]

2010年5月の「COMITIA 100」でサークルB2Bより発表した12ページのオリジナル漫画作品、『機械仕掛けのファントム』をpixivで公開しました。過去作品をpixivにアップするというのは初の試みで、台詞を打ち直したり、ちょっとだけ絵を修正するなどしていますが、基本的にはオリジナルのままです。

過去の作品は、ほとんどが紙とペンのアナログ原稿ですが、この作品はSAIで描きました。今となっては、なぜロボットと霊的なものをモチーフに選んだのか思い出せませんが、ひとつ読み返していて思い出したのは、大好きな福島聡さんの『土に還る花』という短編(『少年少女』2巻に収録)が念頭にあったことです。内容的なつながりは全くないけれど、死のイメージをどう捉えるかという点において。

風化を避けるため、未来の為に遺跡を埋め戻すというケースは実際にあって、有名なイタリアのポンペイなどでもそのような例を聞いたことがあります。

『ニンジャスレイヤー』にハマる

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今年に入ってから、友人に薦められた映画、アニメ、マンガなど目新しい作品には積極的にトライするようにしていて、特に気に入ったものはなるべくこのブログに書くようにしているんですが、2月からずーっとハマり続けていて、いまだに触れていない作品があります。それが、小説『ニンジャスレイヤー』。もう11月だし、さすがにそろそろ、これについて書かないわけにいかない。

元はといえば、izさんに半ば強引に薦められる形でいただいてしまった、書籍の1、2巻を読んだことがきっかけでした。これで続きが気になって、本屋に当時の最新刊の3巻を買いに行き、それも速攻で読み終わってしまって、Web連載分をAndroidアプリでひたすら追っていって。完結している第1部と第2部、連載中の第3部のリアルタイム更新に追いつくまで、丸2ヶ月。かなりのボリュームだったけれど、1日2エピソードペースで読み進み、そこからずっとハマっています。

当然、隔月ペースで刊行されている物理書籍は全部買っているし、Twitterもなるべくリアルタイムで追っているので、夜に更新があるときなんかは普通に寝不足という。基本、凝り性であることは自覚していますが、1年近く続いているというのは明らかになにか作品自体に惹きつけるものがあるのであって、それが何なのかについては私なりに言語化できる範囲で書いておきたい。

そもそも『ニンジャスレイヤー』とは

近未来の架空の日本の都市、ネオサイタマを舞台にしたサイバーパンクアクション小説です。タイトルのニンジャスレイヤー(Ninja Slayer)は「ニンジャを殺す者」、その名の通りの、アメコミ的なダークヒーローを主人公とした作品。各話読み切りの連作小説で、原作者はブラッドレー・ボンド(Bradley Bond)とフィリップ・ニンジャ・モーゼズ(Philip Ninj@ Morzez)なる米国人、ということになっています。
ということになっている、というのは…これはバレでもなんでもなく自明のことなのですが、どうやらこの2人の原作者は実在しない。綴りで検索してもそれらしい人物の情報がさっぱり出てこないし、だいたい、話を読めば著者が日本のサブカルチャーや雑多な文化に精通しすぎていて、さすがにこれはないだろうという。X68000転じて「ペケロッパ」とかね。私が確信したのは、第1部の『ワン・ミニット・ビフォア・ザ・タヌキ』というエピソードの、あからさまなオチを読んでからですが。

しかし!これがこの作品の最もおもしろいところで、外国人が認識しがちな「ズレた日本」像が、文章のいたるところに仕込まれていて、これ自体が作品のSFサイバーパンク的雰囲気を形成する重要な構成要素になっているのです。元ネタのひとつは、間違いなく『ブレードランナー』。『パシフィック・リム』にも「萌&健太ビデオ」みたいな謎日本語看板がありましたが、意図的にしろそうでないにしろ、いまやSFの文脈でオリエンタリズムを強調するならこの手法は欠かせないですよね。

つまり、似て非なる現代日本像を、街の看板や単語のひとつひとつに至るまで事細かに描くことで、現実とは異なるSF時間軸上の日本を、自然に演出している。雑多なネオン街、サイバースペースに逃避する若者たち、無気力なサラリーマン(作中では「サラリマン」)、巨大企業(「暗黒メガコーポ」)が金と権力を裏で操る社会…文化背景を細かく説明しなくても、日本語の読者には情景がありありと浮かぶ。ここがまず上手い。

そんななかで、明確なフィクションである「ニンジャ」って何なのかという話ですが、これ、読んですぐ分かるのは、「忍者」とはまったく別の概念であるということ。作中において、ニンジャは太古の邪悪な魂として、突如として普通の人間に「憑依」するもので、それによって超人としてのニンジャと、非ニンジャである人間(モータル)との間にドラマが生まれる。
例えば、主人公を巡る大まかなあらすじはこんな感じ。

ニンジャ抗争で妻子を殺されたサラリマン、フジキド・ケンジ。
彼自身も死の淵にあったそのとき、謎のニンジャソウルが憑依。
一命をとりとめたフジキドは「ニンジャスレイヤー」――ニンジャを殺す者となり、復讐の戦いに身を投じる。

近未来都市ネオサイタマを舞台に、
ニンジャスレイヤーvsニンジャの死闘が始まった。

ニンジャスレイヤー 書籍公式サイト | STORY

自身もニンジャでありながら、妻子を殺したニンジャと戦い続けるという、主人公が抱えた本質的な矛盾が本作の主題。ここがまさにダークヒーロー的である所以で、悪いニンジャを殺し妻子の復讐を果たす戦いを着実に進めるなかで、フジキドは自身に架せられた十字架に悩み、ニンジャとは何なのかということ(ニンジャ真実)に迫っていく。そして、ニンジャに振り回されるただの人間(モータル)、あるいは望まずしてニンジャとなってしまった人間の悲哀が、シニカルなタッチで描かれていく。
このあたりの雰囲気は、公式に制作されたPVを観るほうが分かりやすいかも。

前述の通り、本作は単独の短編読み切りエピソードの集合体のため、全てがこのニンジャスレイヤーを中心とした話ではないものの、ほとんどの流れは、起承転結ならぬ「起承忍殺」。お話が始まって、展開して、ものすごい勢いでニンジャスレイヤーが悪いニンジャを殺して、終わるという。言ってしまえばそれだけなのに、実に多様な主題を使って、毎回違うテイストのエピソードが登場する。ボーイミーツガールあり、冒険ものあり、コメディあり、泣ける話あり、SF仮想世界あり、ハードボイルドあり。様々なエンターテイメント作品へのオマージュも多分に含まれているのだろうけど、そのバリエーションの豊富さには脱帽しました。

物語を彩るのが、卓越した造語・言葉選びのセンス。オイランドロイド、クローンヤクザ、合成マイコ音声、バイオスモトリ。基本的に、地の文は情景描写に重きを置いた堅実な文章で、いわゆるラノベ的なセリフの応酬だけで構成されているわけではないにも関わらず、これらの造語自体に世界観が端的に表象されているため、短いセンテンスに膨大な情報量が詰まっている。
たとえば、あるエピソードの冒頭は次のように始まる。

世界全土を電子ネットワークが覆いつくし、サイバネティック技術が普遍化した未来。宇宙殖民など稚気じみた夢。人々は灰色のメガロシティに棲み、夜な夜なサイバースペースへ逃避する。政府よりも力を持つメガコーポ群が、国家を背後から操作する。ここはネオサイタマ。鎖国体制を敷く日本の中心地だ。

一週間前から重金属酸性雨は止み、灰色の雪へと変わっていた。マルノウチ・スゴイタカイ・ビルの最上階展望エリアでは、カチグミたちがトクリを傾けあっている。ビル街には「コケシコタツ」「魅力的な」「少し高いが」などとショドーされた垂れ幕が下がり、街路を行き交う人々の購買意欲を煽っていた。

ネオンサインの洪水を睥睨するように、ヨロシサン製薬のコケシツェッペリンが威圧的に空を飛び、旅客機誘導用ホロトリイ・コリドーの横で大きな旋回を行った。「ビョウキ」「トシヨリ」「ヨロシサン」と流れる無表情なカタカナを、その下腹に抱えた巨大液晶モニタに明滅させながら。

別な二機のマグロツェッペリンは、NSTV社のものだ。片方の大型液晶モニタでは、オイランドロイド・デュオ「ネコネコカワイイ」の2人が、サイバーサングラスで目元を隠しながら歌っている。もう一機のモニタでは、彼女たち二人を模した廉価版オイランドロイドのコマーシャルが流れていた。

第1部『メリークリスマス・ネオサイタマ』#1 1-4より

「マルノウチ・スゴイタカイ・ビル」が何なのか知らなくても、六本木ヒルズのような格差の象徴として描かれていることがありありと分かるし、「ホロトリイ・コリドー」を見たことがなくても、ホログラムの鳥居が伏見稲荷のように連なっている様子が理解できる。連想できるからこそ、高密度な情報を頭のなかですばやくデコードしていくことができる。

そして、ニンジャスレイヤーの文体が最も特徴的に表れるのが、アクション(=カラテ)のシーンです。

サンバーンは掌の火球を叩きつけようと、「イヤーッ!」だがニンジャスレイヤーの左拳がサンバーンの腹部に叩き込まれる!「グワーッ!」掌の火球を叩きつけ「イヤーッ!」右拳が腹部に!「グワーッ!」掌の火球「イヤーッ!」左拳が腹部に!「グワーッ!」掌の……「イヤーッ!」「グワーッ!」

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

第2部『モータル・ニンジャ・レジスター』#4 31-32より

これだけ見ると、なんだこりゃって感じなんだけど、この極限にミニマルな表現こそが合理的で効果的なことが、読み進めるときっと納得できるはず。もちろん、ここに至る前段階の描写があってこそとはいえ…人知を超えたスピードと迫力を、文章だけでどう表現するかという意味において、かなり尖ったことをやっている。慣れてしまうと、笑えるとかですらなくて、実際にものすごい臨場感を伴って、目の前でカラテが展開されているイメージに浸れるのです。

「ほんやくチーム」の魅力とTwitter戦略

ところで、英語の原作に基づいている(という設定である)以上、翻訳者がいるわけですが、実はこの翻訳チームについても詳細は伏せられています。一応、本兌有・杉ライカの両氏が訳者として書籍などで公開されてはいるものの、この2人の出自も不明。つまり、これだけのスケールと完成度の作品を、いったい誰が書いてるのか(一人なのか複数なのか、これまでにどういう作品があるのか)、まったく分かっていないのです。

しかも、ニンジャスレイヤーはTwitterアカウント(@NJSLYR)上での「リアルタイム翻訳」という特異な形式をとって公開されてきました。エピソードごとに一定のパラグラフに分けて、不定期に連続投稿していくというもの。Twitterアカウントが作成されたのが2010年7月で、そこから淡々と連載を続けてクチコミでフォロワーを増やし、書籍化の刊行が始まったのはここ一年くらいの話。雑誌でもWeb掲載でも同人小説でもなく、こういった形で新しい作品が生まれてくるのが今っぽいと言えます。

翻訳チームは自ら「ほんやくチーム」と称し、本編以上にブロークンな日本語、独特の文体・節回しで、ニンジャスレイヤーの世界をユーモアたっぷりに伝えるのに大いに貢献しています。例えばこれ(ニンジャスレイヤー翻訳チームからのお知らせまとめ – Togetter)を流し読みすれば、普通なら事務的になりがちな作者からの各種お知らせを、半ば冗談めいて(この「~めいて」が既にこの作品に異常に頻出する常套句なのですが)伝える様子が、だいたい分かると思います。

書籍掲載用のイラスト募集の告知、みたいなのもタダでは済まさない。いちいち小噺ふうのストーリーに仕立て上げて、興味を引く(「イラストレーション締め切り探偵ザザ」第16わ「ザザ対2月15日の締切」のまき – Togetter)。
またあるいは、本編を掲載しているのとは別のTwitterアカウントで、徹底して「おふざけ」をしながら、あくまでも物語=コンテンツとして、新刊書籍の告知をする(『メガブーブス ~ロックンロール美獣アニマル~』まとめ(実況なし・色分けVer.) – Togetter)。

加えて、本編の作中において、Twitterならではの仕掛けを取り入れている例もあります。
読み返して、心底上手くできているなと思った短編エピソードが、第3部の『ア・ニュー・デイ・ボーン・ウィズ・ゴールデン・デイズ』。これは、2011年12月31日深夜から翌年1月1日にかけて掲載された作品で、ツイート日時を見てもらえると分かる通り、作中の年越しシーンと現実の時間がキレイに同期しています。私はまだこのときはニンジャスレイヤーを知らなかったので、リアルタイムに読んでいたらどれだけ興奮したことか。

更に、詳しくはネタバレになるので書きませんが、第2部の最終エピソード『キョート・ヘル・オン・アース』のクライマックスでも思わぬ仕掛けで現実とリンクする箇所があり、この演出手法には驚かされました。このエピソードは、現時点でまだ書籍の刊行が追い付いていないため、書籍化でどうなるのか分かりませんが、2部を読み進めるならぜひTwitter版を読んで体験してみてください。

2013年、メディア展開と二次創作

さて、このように徐々に話題になってきた本作、今年になってからはさらに各メディアへの展開が活発化しています。

まず、2ヶ月スパンというハイペースで刊行が進んでいる書籍版。実際のところ、これまでにTwitterで公開されているエピソードの量は膨大なもので、まだまだ書籍向けのリソースは尽きない。4巻に分冊されて発行された第1部は既に完結していて、続く第2部はその倍以上のボリュームで、うち3巻分が既に刊行済み。連載中の第3部は、更にそれを凌ぐボリュームであることが分かっているため、少なくとも来年いっぱいは書籍版がTwitterに追いつくことはないはずです。
両方読んですごいなと思うのは、書籍版ではかなり細部にわたって加筆修正がされていること。ちょっとした表現が直されていたり、あるいは描写の前後が逆転されていたりすることで、確実に文章が洗練されているのが分かります。実際、あの仕事量をこなしている翻訳チームのどこにそんな余裕があるのか、さっぱり分かりません。

そして、書籍版の特典として始まったオーディオドラマ。あの文章をどうやって音声化するのかと思えば、これが意外に違和感のない仕上がりで(まず「イヤーッ!」「グワーッ!」をファンが納得できる形で音声化したのがすごい)、アニメ化の布石かと疑われるのも無理もないという感じです。現在までに、第1部の人気エピソード『ラスト・ガール・スタンディング』を含む3つのエピソードがオーディオドラマ化されており、来月出る新刊でさらに2エピソードがこれに加わることになります。

更には、2系統の公式コミカライズ版。雑誌連載を追う形でTwitterでも公開されていますが、特に余湖裕輝・田畑由秋版の『NINJASLAYER』が、かなり高いレベルで原作の緻密な世界観と狂気を忠実に再現しています。

『NINJASLAYER』(漫画)その1 – Togetter
http://togetter.com/li/523702

一方で、翻訳チームはファンによる二次創作活動も奨励していて、いくつかの同人誌や非公式の関連イベントが開催されているようです。私も、4月に開催された忍殺オンリー「ニンジャ文化祭」のアンソロ本を買いましたが、ファンの入れ込みように圧倒されました。本編をある程度読み進めている人にはおすすめです。

何からどうやって読むか

で、実際に何からどう読めばいいの?という話。これは実は翻訳チームが再三アナウンスしていて、書籍のオビにも書いてある通り、どこから読んでもいいように出来ています。つまり、それぞれは舞台も登場人物も異なる、ほぼ完全に独立した短編エピソードで、最低限説明が必要な事柄は作中で都度示されるため、前提情報は何もいらないということです。
書籍の注釈によれば、本作は「原作者の意思を反映しランダムにカットアップされている」とのこと。翻訳チームは、これを時代劇に喩えて、「水戸黄門を第一話から見ている人はあまりいない」と説明しています。

しかしながら、それぞれのエピソード群を繋ぐ大筋のストーリーはあって、そのまとまりが「第1部」とか「第2部」と言われているものです。ナントカ編、みたいな感じ。

まず第1部「ネオサイタマ炎上」は、主人公であるフジキド・ケンジことニンジャスレイヤーが、ネオサイタマを影で牛耳るニンジャ集団「ソウカイヤ」とそのボス、ラオモト・カンを倒すまで。本作の定型である「ニンジャが出て殺す!」というスタイルが徹底されており、ある種のアメコミ的ダークヒーローものっぽさは、第1部特有のものかもしれません。

第2部「キョート殺伐都市」では、キョートを支配する「ザイバツ・シャドーギルド」との戦いに移る。読み切りであることは変わらないにしろ、中編規模の長いエピソードも増えてきて、ジュブナイル小説のような連作の探索行が描かれます。シリアスな話が多い一方で、ガンドーやシルバーキーなど魅力的なキャラクターが多数登場します。ストーリーの繋がりによって、徐々に謎が解ける構成になっているため、2部は2部でまとめて読むのがおすすめです。

さらに現在進行中の第3部「不滅のニンジャソウル」では、舞台を再びネオサイタマに戻し、ソウカイヤの残党「アマクダリ・セクト」と戦うなかでのニンジャスレイヤーの苦悩が、より具体的に表現されています。物語のバリエーションが一気に広がって、笑えるほうにもシリアスなほうにも、かなりの振れ幅ができました。ある意味、原点に立ち返ったようなところもあるので、3部のエピソードからいきなり読んでもまったく問題ないと思います。

前述のとおり、現時点で書籍化されているのは第2部の半分くらいまで。なので、書籍が手に入るなら書籍が手軽でいいですね。大筋は変わってないとはいえ、内容もリファインされているし。ちょっとかさばる大きさなので、電子書籍版があるといいなと思うんですが、今のところ出ていません。

一方で、もちろん、Twitterで読むこともできます。書籍が出ても、こうした元の無料公開コンテンツを残すことを明言しているのが翻訳チームの偉いなと思うところで、まとめて読むのであれば、有志によるWikiのエピソードリストから辿って、Togetterで読むかたちになります。
ただ、Togetterの画面ではなんとも読みづらいため、ぜひおすすめしたいのがAndroidアプリの「Njslyr Reader」。アプリ側からTogetterのログを取得して、読みやすいように表示する仕組みの、非公式の無料アプリです。何を隠そう、私が全エピソードを後追いで読破できたのもこのアプリのおかげ。レビューの評価の高さを見ても、このアプリでニンジャスレイヤーを読むためにAndroid端末を買うというのも、全然アリだと思いますね。

2014-07-09追記:

補足ですが、今はiOS向けには有志の方によるiPhoneアプリ「NJRecalls」という選択肢もあります。タグ上での実況コメントを交えた表示のしかたが良くできていて、初めて読む方にもおすすめできます。

おすすめエピソード

参考までに、特におすすめのエピソードをいくつか紹介しておきます。

キックアウト・ザ・ニンジャ・マザーファッカー』(Kickout the Ninja Motherfucker)
青春ボーイミーツガール中編。さえない高校生ギンイチと、謎のパンク少女イチジクとの出会いを通じて、モータルの視点でニンジャの狂気が描かれる。書籍1巻に収録されていて、私はこのエピソードでハマりました。ニンジャスレイヤーのいいところは、原則的には勧善懲悪で、いかに絶望的な雰囲気であっても、最後は光をほのめかせて終わるところ。
ラスト・ガール・スタンディング』(Last Girl Standing)
全編を通じて主要な登場人物のひとり、ヤモト・コキの覚醒を描いたエピソード。上記のキックアウト~に続いて、高校生の日常という身近なモチーフを、ネオサイタマ事情に置き換えています。短いながらも濃厚な展開で、クライマックスのニンジャスレイヤー登場シーンも熱い。第1部の敵であるソウカイヤの末端組織の仕組みも垣間見えて、この後に続く話のディテール形成にも貢献している。書籍1巻に収録。オーディオドラマも納得の完成度。
スワン・ソング・サング・バイ・ア・フェイデッド・クロウ』(Swan Song Sung by a Faded Crow)
前述のヤモト・コキの、その後の自立の過程を描いた短編。出会いと別れを正面から描いた儚いストーリーで、特に最後のシーンが印象に残りました。消えゆくカラスが歌った白鳥の歌、というのは、お話を踏まえると、これ以上ないくらい相応しい、美しいタイトル。ちなみに、ニンジャスレイヤーが登場しないパターン。書籍2巻に収録。
フジ・サン・ライジング』(Fuji Sun Rising)
同じく第1部、書籍2巻より。かなり珍しいロシア人ニンジャ、サボターのカタコトの日本語セリフがお気に入り。ニンジャスレイヤーの変態的な執念も笑えるし、協力者ナンシー・リーの電脳バトルの描写もクール。ハリウッドのB級パニック映画風の痛快エピソード。「イヤーッ!」「パンキ!」「イヤーッ!」「パンキ!」
ゲイシャ・カラテ・シンカンセン・アンド・ヘル』(Geisha, Karate, Shinkansen, and Hell)
第2部。書籍6巻にあたる『ゲイシャ危機一髪!』収録。何と言ってもこのタイトル!面白くないわけがない。ネオサイタマからキョートへ向かう新幹線の車中で、ニンジャスレイヤーを巡って、複数のニンジャが入り乱れる混戦に。テンポよく次々に場面展開する戦闘シーン、いちいち笑いを取りに来る武装新幹線の描写。翻弄されながらも、勇気を振り絞る乗客たちの活躍も見どころあり。
チューブド・マグロ・ライフサイクル』(Tubed Maguro Lifecycle)
第2部より。冒頭の、下層労働者の悲惨な日常描写に共感していると、一気に引き込まれる。哀れな主人公ヨシチュニ(このネーミングセンスもすごい)が連れて行かれた試薬バイトの裏には、恐るべきニンジャ支配階級の陰謀が。ユーモアのなかに、現代社会への風刺をさらっと入れてくるところがニンジャスレイヤーらしい。書籍7巻にあたる『荒野の三忍』に収録。鹿を引き寄せる特定周波数テクノも出てくるよ。
リブート、レイヴン』(Reboot, Raven)
第2部の助演男優とも言える、私立探偵タカギ・ガンドーの人生のある転機、過去との再会と決別を描いた、少し長めの中編。書籍未収録。とにかく助手のシキベ・タカコのキャラクター描写が素晴らしいです。冴えないなりにも一生懸命で、セリフ回しも特徴的な、印象深いキャラ。なんともSF的でドラマチックな結末には、ジーンと来てしまう。
レプリカ・ミッシング・リンク』(Replica Missing Link)
第3部エピソード。ある意味正統派の、SFサイバーパンク・ミステリー。サイバーゴス少女であるユンコ・スズキが、「自分は何者なのか」という謎に迫っていく過程を中心に、目まぐるしくストーリーが展開する。このエピソードをはじめ、ニンジャスレイヤーには度々クラブやDJ文化にまつわるシーンが出てくるんだけど、そのどれもが良い。
フラッシュファイト・ラン・キル・アタック』(Flashfight Run Kill Attack)
第2部の完結を待たずに連載された、第3部の幕開けを描くエピソード。このあたりの前後関係の柔軟さは、本作ならではですね。短くまとまった佳作で、3部の人気キャラクター、エーリアス・ディクタスが、ヘタレなりにニンジャスレイヤーのとあるピンチを救うまでを、リズム良く描く。他のエピソードを読んで、エーリアスの正体や背景について知ると、より奥行きが出て味わい深いお話です。
ファスト・アズ・ライトニング、コールド・アズ・ウインター』(Fast as Lightning, Cold as Winter)
まさかのニンジャ料理バトル!生死を賭けたスシ対決に挑み、ズンビーニンジャの巣窟ツキジ・ダンジョンに潜入するニンジャスレイヤー。クライマックスの対決シーンも、ベタな料理マンガのパロディー満載で笑える。同様にコメディー要素に振り切った作品としては、ニンジャ野球バトル『ノーホーマー・ノーサヴァイヴ』が超おすすめ。
ナイス・クッキング・アット・ザ・ヤクザ・キッチン』(Nice Cooking at the Yakuza-Kitchen)
つい先日連載されたばかりの、わずか73ツイートによる短編エピソード。いかにも出オチなタイトルの反面、ニンジャスレイヤーの世界がコンパクトに凝縮されていて、おすすめできます。か弱い人間であるところのモータルの奮闘、それを容易く絶望に陥れるニンジャ、しかし、さらにそれを覆すニンジャスレイヤーの圧倒的な強さ!最後まで気を抜けない展開、キレイな伏線の回収。忍殺ここにあり、といえる内容です。

『ニンジャスレイヤー』の書籍に関する公式の総合情報はこちらを。

ニンジャスレイヤー書籍公式サイト
http://ninjaslayer.jp/

連載作品のまとめや関連情報は、有志によるWikiが便利です。

ニンジャスレイヤー @ wiki – ニンジャスレイヤーwiki
http://www10.atwiki.jp/njslyr/

COMITIA 105 ありがとうございました

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無事に終わりました。鏡像フーガの本を手にとっていただいた皆さま、どうもありがとうございます。制作は大変でも、終わってみれば即売会はいいものですね。

このサークルサイトでは、続けて本作品のフォローのようなことをちょこちょこ書くかもしれません。慣れない表現があって悪戦苦闘しましたが、続きモノのていで描いてしまったので、また次回でがんばります。

売れ行きがどうも芳しくなく、正直なところ少し落ち込みました。なんでしょうね、この、売ること自体は目的でもなんでもないのですが、いろんな人の手に渡ってほしかったので、人に届くことのなかった在庫というのは、作品としての目的を完遂していないんじゃないかと。誰かが見て、初めて作品だからね。

あと、単独参加は慣れっことはいえブース内ではすこし手持ち無沙汰になりますね。本を買いに行ったり、作家さんに声をかけに行ったりということも、あまりできないし。次回以降、売り子を誰かにお願いすることも考えてみようかなあ。あと、寝不足でへろへろだったのですが、せっかくの機会なので打ち上げもしたかった。

ちょっと嬉しかったのは、既刊本3種を含めてまとめ買いしてくださる方が何人かいたことです。なかでも、11年前からコミティアに来ているという方が初めて私の本を見つけて気に入ってくださったらしく、感激。また別の方は、以前のサークル「B2B」から参加名が変わって追えなくなっていたとのことで、絵で気づいて見つけてくれたというのもうれしかった。

14時過ぎに、駆け足でよそのブースを回って、ファンの作家さんの本を買いに行ったり(といっても今回「雲形発着場」さんや「みみナリ」さんなど新刊のないサークルさんも多かったのですが)、あと初めましての方に挨拶したりとか。

特に、DJ界隈では10年来ニアミス続きだった、パリッコさんとイオさんにご挨拶できたのがうれしかったです。彼らは今回、代表作である『クラブDJストーム』の待望の初単行本を引っさげてのコミティア参加で、それも込みでうれしい。テクノDJの必読マンガですよ、これは。
それから、以前pixivで知って気になっていた仙台の作家さんたちの本も買いに行って、少しお話しさせてもらいました。これがどの本もまた案の定すばらしい作品で、追って感想を記事にまとめたいと思います。

いずれも、厚かましくも自分の本を差し上げてしまったのですが、そうでもないと作家同士の交流のきっかけってないと思うんですよね。普通に立ち読みして気に入って買うだけじゃ、一般参加なのかサークル参加なのか分からないし。自分の場合、もし作家で参加していて自分の本を買ってくれるのなら、その人がどういう作品を描いてるのかすごく知りたい。振り返って、いま仲良くしていただいているサークルさんも、向こうから教えてくれた方が多いので、逆に自分からも言っていこうと。それがかえって多少失礼だったとしても、きっかけは多いほうが楽しい…はず。

ともあれ、まずはなんとか終わってほっとしています。次回の106、どうしようかな。スケジュールがタイトなので、はじめから新刊を用意することは考えずに、既刊ばかりを再度持ち込む形にするかもしれません。やっぱ即売会というか、コミティア楽しいし。

COMITIA 103 ありがとうございました

当日本を手に取っていただいた皆さま、ありがとうございました。なんとか無事に終えることができました。前回、前々回のブランクを経て、新しいサークルでの参加ということで、いざ即売会となると身が引き締まる思いもありましたが、終わってみればいつも通りで。

新刊は『ラドリンカの尾』という読み切りを描きました。とあるスラム街を舞台に、尻尾の生えた女の子とそれを取り巻く人々のお話です。表題の人名だけ、フィリップ・クーテフのブルガリアン・ヴォイスの2に収録されている”Besrodna Nevesta”という歌から借りました。

サークル名を新たに、同人活動を出直すにあたり、自分はこれからどういう作品を描いていきたいのか、という点を改めて考えてみました。普段は一切読まない、昔作った本を全部読み返してみたり。そうすると、絵も内容もすごく稚拙だったり、逆に進歩のなさに途方にくれたりするわけですが、唯一、昔のほうが丁寧に作品に向き合っているんですよね。ヘタだけど、ヘタなりに頑張ってるなぁというか。

同人活動に関して言うと、私は挫折ばかりで、よく今まで足かけ9年(前身サークルでのコミケ参加も含めると11年)もマンガ描いてるなと思います。本当に、やめられるならやめたい。でも、自分のなかの何かがそれを許さないのです。かといって創作のアイデアが溢れ出てくるわけでなし、空っぽの井戸から水滴をすくい集めるみたいなことを、毎回毎回やってます。この苦行はどこまで続くんだろうと思います。

たまたま、原稿が上がったその日にウェブを巡回していたら、ある書評ブログで、『いまファンタジーにできること』という本に関連して書かれた、気になる一節を見つけました。

ファンタジーと未熟さをごっちゃにするのは、かなり大きな間違いだ。合理的だが、頭でっかちではなく、倫理的だが、あからさまではなく、寓意的というよりは象徴的――ファンタジーは原始的(プリミティブ)なのではなく、根源的(プライマリー)なのだ。
『いまファンタジーにできること』:紙魚:So-netブログ

私は、11年前に初めて描いたマンガもファンタジーだったし、遡って高校時代に文芸部で書いていた小説も全部ファンタジーだった。結局、ファンタジーが描きたいのです。それも判で押したような剣と魔法の冒険譚「ではなく」、現実で起こりうること以外の全てを網羅した、自分という人間の想像力の地平としてのファンタジー。それって必ず、知識や思想や美的感覚や、あらゆる点において自分自身を鏡映しにしたような、ウソのない作品になると思うんです。そういう作品を残したいというのは、なんというか理屈ではなく、子孫を残すような本能的な欲求なのかもと思います。

とはいえ、あらゆる表現がそうであるように、文法やルールへの深い理解があってこその作品作りなので、その意味でなるべく質の高いものが残せるよう、勉強していきたいと思います。今後もサークル「鏡像フーガ」、よろしければお付き合いください。

次回の「コミティア104」は、4月末の「M3-2013春」参加のためひとつスキップして、8月のコミティアに参加予定です。