『コトダマ・コンフィデンシャル』制作過程のあれこれ

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今回の冬コミ新刊に関して、#ウスイホン感想タグなどでの感想ツイート、拝読しています。どうもありがとうございます!とても嬉しいです。

あとがきで、なんだか長々とした文章を書いてしまいましたが、あそこにすら収まらなかったことであるとか、あと、制作にあたってのアイデア出しの経緯などについて、備忘録としてメモしておこうと思います。まあこれは読んでも読まなくても…。ただ、直接的に作品の中身について言及するので、もしお読みいただく場合は、できれば本を読んでいただいたあとのほうがオススメです。という前書きをいちおう。

「ナンシー=サン本」の発端

前回のユンコ本(『JUNK-O-MATIC』)のあと、実は冬コミ合わせでナンシー=サンとは全然別のテーマで本を作る予定だったのです。キックアウトのギンイチとイチジクのその後、第3部時系列での創作エピソードでした。具体的にお話のプロットを詰めるところまで進んでいて、いったんクールダウンするために二冊目として考え始めたのが、今回の本です。ところが、進めていくうちにいくつかの複数のアイデアが面白いようにハマっていったので、先にこちらを形にしてしまうことにしました。

そもそも、ナンシー=サン本を作りたいと思った直接の動機は、「フロムアニメイシヨン」のナンシー描写に不満があったからなんですよね。あまりポジティブな動機ではないので、これは敢えてあとがきには書きませんでしたが…。どうもなんか、性的な記号としてのネタみたいな表現が多くて、それはまあ原作第1部が明らかにそうなのでいいんですけど、やっぱこっちはロンゲストでの「二人の軍団」の超絶かっこいいナンシー=サンを見てきているわけじゃないですか。お色気を振りまいているだけのキャラじゃないんだよ!というのは、厄介な原作ファンだなあとは自覚しつつも、ついつい声を大にして言いたくなってしまうところです。

でまあ、とにかく自分の考えるナンシー=サンの魅力を伝える本を描こう、と思ったのです。

お話作りのきっかけ

それにあたり、まず、本編においてナンシーが主役のエピソードを構成する最低限の要素は何かを考えてみました。様々なタイプの二次創作があると思いますが、私がやってみたいのはあくまで原作を模した、本編の設定の隙間を縫うような作品なので、このメソッドは比較的とっかかりが掴みやすいです。ユンコ本のときも同様でした。

第1部のダイダロス戦、2部のストーカー戦、3部のワニ戦などを振り返るに、次々と現れる敵をKICKするコトダマ空間バトルは外せないなと。これは、彼女のニンジャスレイヤーばりの活躍を見せるのに、絵的に最も効果的だからだと思うのです。
では、彼女がコトダマ空間を認識したのはいつから…?という素朴な疑問から、改めて原作を辿ってリサーチを進めていった経緯は、これは、本のあとがきに書いた通りですね。

そしてその過程で、この作品のテーマを、前回の本で描いたユンコの自立に対する、「ナンシーの自立」の物語にしようと決めました。「素子ロケット」のようなキーアイテムも対になる形で用意して、お話自体もナンシーがユンコに語り聞かせる構造にしよう、というような全体の骨組みにあたるアイデアも、わりと制作の初期に出てきたものです。

順繰りに生まれたアイデア

さて、ここでいう「ナンシーの自立」とは一言で言ってしまえば、ニンジャスレイヤーと貸し借りなしの対等関係になるということ。であれば、ナンシーは一度コッカトリス戦で命を救われているので、今度はナンシーがニンジャスレイヤーの窮地を救う話にするしかない。幸いにも、2015年に翻訳されたエピソードとして、例の一連のシュギ・ジキ回で「ニンジャスレイヤーがUNIX音痴のために散々苦労させられるシチュエーション」が何度も出てきたので、ここは自然な流れで思いつきました。つまり、ナンシーはニンジャスレイヤーが大事にしている私物のUNIXを守るために、彼を助けるのです。

さらにさらに、じゃあ、ニンジャスレイヤーがUNIXのなかで大事にしていたものとは…と考えたときに、あの、後生大事に飾っている家族写真「フジキド家の宝」を思い出しました。あれは、状況的に何度か焼失していてもおかしくないので、原本をデジタルデータで持っていたのではないかと仮定しました。この時期のフジキドは、ヨロシサンの秘匿するアンプルの所在を探るために死にもの狂いになっていたはずで、当然、慣れないハッキングを行おうとしてトラップに引っ掛かっていたりもするはず。そこにナンシーが救いの手を差し伸べる。しかも、つたないハッキング能力をハッタリで取り繕ってでも対等に渡り合おうとする、みたいなのは、いかにもアリなんじゃないかなと思いました。

こうして、大枠のプロットは順繰りに考えていくことで自然と固まってきました。

ナンシーとパートナーとの関係

ところで、どうしても問題になるのがこの直前に死んでいったホゼとナンシーの関係。ここは原作で掘り下げられていないだけにいくらでも解釈の余地があって、例えば仕事上のパートナー以上の関係だったのか、あくまでもドライな付き合いだったのか。ナンシーはまあサバサバしたところがあるので、特に何も思ってなさそうですが、もしかしたらホゼ=サンは何かしら一方的に好意を寄せていたのかも…?

ここでもヒントになったのは、作品に書かれている今現在のフジキドとナンシーとの関係性でした。彼らは互いに戦士としてリスペクトを持っていて、仮にそれ以上の思いがあったとしても、そのリスペクトゆえに一定以上踏み込まないようにしている。ナンシーは特に、フジキドの事情を知っているからこそ一歩身を引いているような節がありますね(というのは、私の思い込み設定かもしれません!)。

ホゼが命に代えてもナンシーに託したかったメッセージとは何なのか。それは愛を伝えるメッセージだったのかもしれないし、あくまで仕事のデータだったのかもしれない。そこを中盤まで伏せておくことで、パートナー同士の揺れる関係性について演出したいという意図はありました。ここは今思えば、尺をきちんと割いてもう少し掘り下げたほうがよかったかもしれません。とにもかくにも、本作の解釈においては、ナンシーとホゼはあくまでプロフェッショナルな「涼しい」関係だったのです。

すべてが繋がった野球回

さて、ここまで来てもまだ引っ掛かっていたのは、ナンシーがこういった過ぎ去った思い出を滔々と語る、というようなシチュエーションがどうにもイメージしにくい点でした。過去を振り返らない人なんですよね。作業はここでしばらく詰まっていました。

あるときお風呂に入っていてふと思いついたのが、例の野球回です。ナンシーとともにユンコが働いた形跡があり、その間の具体的な描写はないにしても、エピローグで彼女たちのサポートの存在が明かされる。改めて本編を読み直してみて、これはココに当てはめるしかない!と思いました。つまり、フジキドが必死に野球している間、ひと仕事終えたナンシーはユンコにせがまれて子守歌のように思い出話をするのです。すべて繋がったという気がしました。

この瞬間、球場を遠く離れた某所、ナンシー・リーは結わえた髪をほどき、美しい横顔にUNIXモニタ光を受けていた。球場のシステム脆弱性をバックドアに、彼女は闇サーバーシステムに侵入。ハンコと筆跡データを痕跡一つ残さず消去し、エミュレイターという名のニンジャのIP情報を押さえた。

「流石ね」ナンシーは微笑んだ。「本当に128点取るなんて。一人で」彼女は部屋の反対側の椅子で横になるサイバーゴスの少女を見た。床に落ちた毛布をかけ直してやった。「奴らにはまだまだ後悔させてあげられるわよ、ニンジャスレイヤー=サン」UNIXからディスクが吐き出され、闇が訪れた。

―『ノーホーマー・ノーサヴァイヴ』#4-62,63

野球で1回表に128点を取る、なんていうのは相当な信頼がないと立てられない作戦なので、逆説的に、ここまでの信頼関係を得るに至ったきっかけは一体なんだったのか、というユンコの疑問は、至極真っ当なのではないかと思います。

結わえた髪をほどくというモチーフは、初めてコトダマ空間にダイブするときの象徴としてもイメージしていたものなので、不思議とここも重なりました。拘束が解かれて前へ進むイメージ。また、ユンコに語り聞かせながらも実は仕事をしていた、みたいな解釈も、ワーカホリックのナンシー=サンらしいかなと思いました。

小ネタを散りばめる

一方で、敵ニンジャのアイデアではネタに走ろうと決めていました。今回の話は、そもそもあんまりシリアスにしたくなくて、笑えるけどカッコイイみたいな、忍殺らしい左右の振れ幅が大きいものにしたいと考えていました。

まず最初に出てくるシュリンプヘッドは、一目でサンシタと分かる感じにしたかったので、このあとナンシーが散々いたぶられることになるロブスターのプロトタイプみたいなものにしてみました。造形的にも、スキャッターみたいなしょうもなさが出ればいいなと。ただ、このシュリンプヘッドとの遭遇は、ナンシーにとってはあくまでもNRSフィードバックのトリガーとなる恐ろしい体験でなくてはならないので、そこはふざけないように…。

サーチドルフィンのネタ元は、お察しの通りMS Officeの例のイルカです。UNIX初心者が煩わされるのはコレだというのと、フジキドの決め台詞から逆算して考えました。これ、あまりにもニンジャスレイヤーのバトウだなと思って。

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こういう軽率なインターネットミームのパロディーって、おそらく本編ではここまで露骨な形では出てこないと思うので(『マグロ・サンダーボルト』で明らかにこれっぽいイルカが出ているにしても)、二次創作っぽいお祭り感が出ていれば。カラテシーンがカットされてしまっているので伝わりにくいかと思いますが、自分の中ではこれはわりと健闘したニンジャです。ナンシー主体のお話でなければ、カラテをちゃんと描いてあげたかった。

作品という形にしてみて

以上、ここまでとりとめもなくアイデア出しの経緯を書き出してみました。改めて完成した作品を通して読んでみると、自分の漫画的な技量不足によって伝えきれなかった部分も多いなと感じます。絵とかセリフとか繋がりがおかしいところは、時間が経つにつれ目立つようになってくる。ただ、ユンコ本のときもそうでしたが、現時点でできることは出し切ったという手ごたえのようなものがあって、これは形としてアウトプットしたからこそ得られる実感です。自分以外の方に読んでいただけるというのはそれだけでうれしいことで、なんというか、人に伝わる形で残すことができて良かったなと思います。

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